かくかく しかじか帳

藻の、思う・感じる・考えること

見つかるまで続ける

 求人に応募すれば「ぜひ来てください!」と誘われるか、「残念ながら…」とお断りされるかの二択しかない。肝心なのは、お断り=人格否定ではないということだ。このことを、約十年前の自分は理解できていなかった。

 

 お祈りメールが届くたびに、自分はダメな人間なんだと思った。四月に就活を開始して、早々に心が折れていた気がする。卒論やバイトを言い訳にして、就活から逃げた私の就職先が決まったのは、卒論を提出し終えた十二月だった。

 

 今、大学時代と同じように就活をしている。だが、お祈りメールをもらっても「そういうものだ」と受け入れることができるようになった。そんな風に変わったのは、働きながら企業の事情を理解したからだと思う。

 

 そもそも企業は、事業拡大による増員や欠員補充などの問題を解決するために、人を採用する必要があり、業務として採用活動を行っている。その中で採用しないという判断は、スキルが合わない、求める人物像と人柄が合わない、他候補者との選考の兼ね合いでタイミングが合わないなど、様々な条件や事情がうまく嚙み合わなかった結果に過ぎない。

 

 昔の自分は、自分のことを考えるのに精いっぱいで、企業の事情まで考える余裕はなかった。だからこそ、自分がいけないんだと自分を責める方向にばかり考えていたように思う。

 

 合わない企業があれば、合う企業もある。それに、就活を辞めさえしなければ、いつまででも仕事を求めることはできる。仕事が見つかるまで活動すればいいのだ。

 

 三月。二〇二五年卒の学生はすでに、就活を始めているかもしれない。すぐ決まる人もいれば、長く時間がかかる人もいるだろう。いくつ内定をもらっても、一人の人間が行ける企業は一つしかない。いろいろな条件・事情がかみ合った企業が一人一つ見つかりますように。私も就活を頑張ります。