かくかく しかじか帳

藻の、思う・感じる・考えること

分かったつもりで生きている

 頭で分かっていることを、現実で突きつけられて初めて、分かったつもりだったんだと気付く。

 

 「長期キャリア形成のため、[二十九歳までの方]に限定した採用です」

 

 「例外事由三号 イ」と書かれる類のものだ。年齢で応募できない状況になって初めて、自分が年を取っていたことに気付く。もう「若い人」ではないんだ。明日私は三十歳になる。

 

 その求人に書かれた一文に、何かがグサッと刺さったような気持ちだった。「この年齢以上は若くありません」と、線引きされたことがなかったからもしれない。正確に言えば、成人式の時に一度線は引かれてはいるのだが、自分の中で二十代はまだ若いと思っていたし、社会的にもそれで許される年齢だっただろう。

 

 求人に書かれた一文を見て、年齢が社会的にどう見られるかという意識が薄かった、ということに気付かされた。日本の平均年齢は、四十八.六歳(*出典)。この高齢化社会の中では、三十歳でも若いと思ってくれますよね…?と、期待していた。ただ、現実は違うようだ。

 

 よく「年齢は関係ない」という言葉を見かけるし、自分も使ったことはあるが、あくまで「自分の中ではそう思う」という個人的感情であったり、「あなたのことを年齢以外の部分も知っている」という親しい間柄の中で成立するものであって、社会的(自分のことをよく知らない人)にどう見られるかという点においては、大いに「年齢は関係ある」ということなんだろう。

 

 そのことに考えが至っただけでも、三十歳になる価値はある。と、分かったつもりになっているかもしれない。勘違いをして、勘違いに気付いてヒヤッとして、また勘違いをする。この繰り返しで年を取るのだろうか。

 

 「例外事由三号 イ」の求人には、[三十五歳までの方]というものもある。三十五歳になるときも同じように、ヒヤッとしているかもしれない。